【社長コラム】イノベーションの流儀   第8回 情熱の矛先

【社長コラム】イノベーションの流儀   第8回 情熱の矛先


皆さん!こんにちは!

年明けから、あっと言う間にもう年の半分の6月になってしまいました。
新緑から深緑に変わるこの季節は梅雨と重なりますが、良い季節ですね。
特に東北地方の緑が一番鮮やかです。
以前は毎年訪れていた青森県の奥入瀬渓谷の木漏れ日が注ぐ緑は、コントラストがあって、
私的には日本一緑が美しい場所だと思います。
是非、皆さんもこの時期の奥入瀬渓谷に出かけてみてください。


さて、本日は前回の末尾で出てきた社長室での出来事から始めたいと思います。
担当役員の口から出た言葉は…

「会社を潰すのも社長の仕事だからな!利益が残らない会社は不要!利益が残せないのは罪!」

というものでした。
新会社の船出となるおめでたい日の出来事でした。

青山の一等地のお洒落なビルにオフィスを構え、若干30代で社長になった高揚感、
そんな浮かれ気分に冷水をかけられ、社長の責任の重さを痛感した瞬間でした。
担当役員は新会社の代表権を持つ非常勤役員で、言わば頼りない社長の後見人兼見張り役と言ってもいい存在でした。
別会社の設立条件は、設立3年目で単年度黒字化、5年目で累損解消です。
達成出来なければ会社は潰されてしまうことを改めて認識した夜でした。

帰宅したその夜はなかなか寝付けませんでした。
自分は日本初の新規事業の会社を軌道に乗せるマネジメントが出来るのか…
この新会社に自分の将来を賭けて転職して来たプロパー社員に責任が持てるのか…
本当に私の力量で利益の出せる会社に出来るのか…
マネジメント経験のない私に大きな重圧がかかった日となりました。

翌日、「もう逃げ道はないのだから、前に進むしかない」と言う決意の下、全社員を集めたミーティングが始まりました。
まさに百家争鳴のごとく意見が噴出したのは良いのですが、なかなか議論がまとまりません。
あの当時の会社は動物園状態でした。事業そのものに関心のない出向社員、
立ち上げプロジェクトメンバーを中心とした強い関心を持つ出向社員、情熱的に事業の在り方を語るプロパー社員と、
「個性的な集団」と言えば聞こえは良いのですが、
会議では感情的になる社員や、無関心な社員、熱くなって泣く社員も出る始末です。
マネジメント経験のない私にとっては苦悩の毎日でした。
毎週のように書店に立ち寄り、著名な経営者が上梓した本や難しい経営書など書籍を買い漁ったことをよく覚えています。

社長自ら営業やプランニングに携わり、時には現場に立ち会わざるをえないギリギリの状況でした。
思うような成果を上げられないまま1年が過ぎようとした頃のことです。
本社で事業報告を兼ねた面談があり、担当の本社部長を待つ間に通された控室で耳に入ってきた話に愕然としました。

壁が薄く隣の会議室から漏れ聞こえた言葉は、
「あの新会社の営業成績を見ても、これからの見通しが立ちそうもないから、
早めに潰した方が良いと思わないか?元々わが社でやるような事業じゃないだろう」
というものでした。

怒りで体が熱くなり、私の手は自然と拳となって汗ばんで来ました。
「この官僚ども!俺たちの苦しさや大変さを知りもしないくせに言いたいことを言いやがって!今に見てろ!」
と心の中で呟いていると、部長に呼ばれ面談が始まりました。
「評価は数字がすべてだから」の一言で面談は終わりでした。
事業の説明を聞く訳でもなく、励ましの言葉もありませんでした。
そんな言葉を期待した自分が馬鹿だったと思います。

でもそのことで私自身の事業に対する考え方が一変しました。
本社を見返すことだけを考え、取り憑かれたように仕事に取組み始めました。
毎日のように親会社の法人営業支店を回り、支店長や営業課長に頭を下げ、
顧客を紹介してもらい、営業担当者と顧客訪問を繰り返しました。
事業特性ゆえに顧客に事業内容を理解いただくのに時間がかかることから、
当初想定していたものから外れるような案件まで手を伸ばしていくようになりました。
アメリカに渡って圧倒的スケールでこのビジネスを展開する企業を目の当たりにし、
自分がこのビジネスを日本で起こすのだという高い志を胸に帰国した当時の情熱はもうどこにも残っていませんでした。

会社にいる時も、通勤途中も、自宅にいる時も業績を上げることで頭が一杯でした。
社長としてマネジメントすることなど忘れ、営業数値だけを追い続けました。

ようやく2年目の後半に一定の目途が立った矢先に、プロパー社員達から渋谷の貸会議室に呼び出され、言われた言葉が……
経営者なら当たり前の話ですが、今では私の経営の信条となっているものです。
この話は次号でしたいと思いますので、ご興味のある方は、またご来訪ください。