【社長コラム】イノベーションの流儀   番外編(1) 新年のご挨拶

【社長コラム】イノベーションの流儀   番外編(1) 新年のご挨拶

新年あけましておめでとうございます。

昨年はイギリスのEU離脱や保護主義経済を提唱するトランプ次期大統領の出現、
フィリピンのドゥテルテ大統領の同盟外交を揺るがす過激発言や韓国の朴大統領の弾劾問題、
北朝鮮の核開発・ミサイル問題、中国の強引な海洋進出など、政治的リスクが拡大する激動の1年でした。

今年はそれぞれの問題が深刻化する、予測不可能なカオス状態になるのではないでしょうか。
多くの要因が重なることによる市場環境の変化がますます加速する中、
イノベーションを起こし続ける企業のみが生き残れる時代が到来するような気がします。

これからのリーダーに求められる資質について、以前、竹中平蔵氏は3つ挙げました。
1つ目が、「自分の頭で世界や将来を見通す洞察力」、
2つ目「自分の考えをステークホルダーに語って説得する力」、
3つ目が「組織を動かす力」です。

私はもうひとつ加えるとすれば、不確実性が増す社会にあって、
未来を洞察し、将来の新たなビジネスモデルを自ら概念化する力が求められると考えています。

私は経営者歴21期目を迎える訳ですが、その能力が備わっているかと言えば、
そのレベルには達していないのが現実です。
今年はさらにインプットを高め、精進してまいりますので、
皆さんのご支援ご協力をお願い出来れば幸いです。

今回は続編を書く前に、今の私のビジネススタイルのベースを作った営業マン時代のエピソードと、
私がもっとも影響を受けた元上司の話をしたいと思います。
番外編として箸休めのつもりでサクッと読んでみてください。

支店時代の私は、上司にとって扱いにくい部下だったと思います。

お客様を感動させたい!お客様にとって必要不可欠な存在になりたい!を信条に、
お客様目線で物事を進めて行くタイプでしたので、組織の上を向いている上司と馬が合うはずがありません。
私が6人のスタッフを預かるグループリーダーだった当時、個人ノルマを厳しく課す課長が上司にいました。

実はその課長とは深い因縁があり、その課長が以前別の支店に在籍していた頃、
私のお客様にアプローチをしたことで揉めたことがありました。
そのトラブルから数か月後、私が所属する支店にその上司が着任した当日に言われた言葉は
今でもはっきり覚えているくらい辛辣なものでした。

ある日出社すると、壁に個人別ノルマ表が貼り出されていました。
私は成果を上げるためにはチーム力が最も重要だという考えでしたので、そのノルマ表を剥がし、
「目標予算は必ず達成するので、やり方は私に任せて欲しい!」と熱く言い放ちました。
すると課長の形相はみるみる強張り、支店中に響くほどの怒鳴り声をあげました。
私も一歩も引かず、しまいには大喧嘩となりました。

翌日課長が休んでしまうほどに彼のプライドを傷つけた私の行為は、
今では大人なげなかったと反省しています。
実はその課長が第3話に登場した元上司です。
その上司とは散々ぶつかりましたが、月日を重ねるにつれ私を信頼してくれるようになり、
私のやり方に一切口を挟むことはなくなりました。

当時の私はとにかく引き下がることを知らない営業マンでした。
ある関西系食品メーカーへの飛び込みセールスでは、
社長の学友の旅行会社が取り仕切っていることを知りながら、
5年間毎週通い続けました。
その理由はインセンティブ旅行の評判の悪さを耳にしていたからです。
いつかチャンスが巡ってくると信じていました。

5年が経とうとしている頃、いつも面会していた東京支社の課長から、
2年後に東京本社が出来ると言う情報をキャッチ。
東京本社に関わる案件の決定権者は大阪本社に居る副社長と聞いた私は、
無謀にも大阪本社に電話を入れ面談を申し入れました。
大企業の副社長が面識もない一介の平社員に会ってくれるはずもありません。
ただ天は私に味方をしてくれました。
電話に出た秘書が副社長の東京行きの日時をそっと教えてくれたのです。

私は早速、東京本社完成のオ-プニングセレモニーやオープン記念パーティーの企画書作りに着手。
親しくしていた東京のホテルマンの協力を仰ぎながら、徹夜を続けて企画書を何とか間に合わせました。
パソコンなどない時代ですから、鉛筆に定規を使った手作業です。今考えれば酷い出来だったと思います。

その企画書を携えて、その会社の東京支社の会議室ロビー階で副社長を待ち受けました。
会議と会議の合間を狙った突撃営業です。
「初めまして!私はこういう者です。貴社が東京に本社を作る話を伺い、
 私なりに提案書を作りましたので、見ていただけませんでしょうか!」と声をかけました。

副社長は、「君は誰だね!アポも取らずに強引な男だな!」と言いながらもサラリと企画書に目を通し、
「詳しい話は部長に話してください」と一言残してその場を立ち去りました。
江戸時代の武家社会でしたら、お百姓さんが国主に窮状を直訴するようなものですから、
その時代なら無礼討ちでしょうね。

結果は、大手広告代理店と組むことを条件に、大部分を私に発注してくれました。
2月初旬のイベントのパーティー会場に、桜の大木を持ち込み、
桜を狂い咲きさせるという大胆な演出プランが大きな決め手になったようです。
発注決定がイベント実施の前年の9月上旬、実は当日まで桜が開花しなかったらどうしようかと、
ずいぶんやきもきしたことを今でもよく覚えています。
当たって砕けろ!的な無茶な営業をしたものです。

結果、イベントは大成功!
早速、大阪本社にいる副社長に御礼のご挨拶に行くことになりました。
同行した課長は、副社長の顔が怖いこともあって、緊張のあまり何度もトイレに駆け込む始末です。

秘書の案内で圧倒されるほど立派な副社長室に通されると、
私と課長は副社長が入室するまで直立不動の姿勢で待っていました。
副社長が革張りの深々としたソファに身を沈めるのを見て、我々は頭を下げながら御礼を述べました。
その時副社長から言われたことはこうです。
「イベントでは良くやってくれたね。お蔭様で私の面目も立ったよ。でも君と初めて会った時は驚いた、
 というより呆れた社員が居るものだと思ったよ。普通のお客さんなら怒鳴りつけられるところだろう。
 君はビジネスマンとしてはどうなのかね。でも僕は面白い男だと思うよ」。
これでは褒めているのか貶されているのか分かりませんね。

挨拶を終え、我々が帰る旨を伝えて席を立つと、副社長は秘書に、
「私の車で空港まで送ってあげなさい」と告げました。
美人秘書が伊丹空港まで送ってくれたのです。
私を認めてくれたと思えた瞬間でした。

それから少し経って、その会社の社長交代などの影響を受け、
我々が目論んでいたインセンティブ旅行奪取には残念ながら繋がらず仕舞いでした。

私がもっとも影響を受けた元上司の話を合わせてするつもりが、こんなに長くなってしまいました。
脱線続きとなりますが、次回は今回の続きと尊敬して止まない元上司の話をしたいと思います。
第4回の続編はその後に回させていただきますので、ご興味がありましたら是非また、弊社HPにご来訪ください。